みずりゅの自由帳

主に参加したイベントやソフトウェア技術/開発について記録しています

いなばの山にゆきは降りつつ。(二人の技術同人誌の知人を偲ぶ。)

タイトル自体には特に意味はありません。
百人一首の以下の二つを適当に切りはりしただけです。

  • 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む(中納言行平)
  • 君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ光孝天皇

なんか、実際にありそうな句にも感じられますね。
まぁ、それはさておき。

TwitterのTLをみていたら「あぁ、もうそんな時期だったか...」とセンチな気分なりました。
せっかくなので、センチの気分のまま頭に思い浮かんだことを書き記しておこうと思い、筆を取りました。


技術同人誌を通じて知り合った知人の中で、鬼籍に入られた方が2名います。
ひとりは、"ゆき"さん。2022年1月7日、逝去。
もうひとりは、"いなやまふみたか"さん。2022年3月6日、逝去。
折しも、同年にお二人とも旅立たれていかれました。


ゆきさんとの交流は、親方プロジェクトの合同誌に寄稿したことがきっかけでした。
寄稿をきっかけに"ラボ"に行くようになり、そこでラボメンでもあったゆきさんと交流を持つようになりました。
技術同人誌も書きつつイラストもやる(しかもものすごく綺麗なものを描く)すごい人だと思っていました。
その上、非常に気さくな方でもありました。今でも"ラボ飲み"してた時に、お酒を飲んでニコニコの笑顔は脳裏に残っています。

ゆきさんについては、こちらで記事にもなっていましたね。
withnews.jp

また、ゆきさんはご自身の葬儀をオンライン中継もされていました。
直接会場には足を運べませんでしたが、映像で出棺までは見送ることはできました。


いなやまさんとの交流は、技術同人誌を書き始めてだったと記憶しています。
詳しくどこでお知り合いになったかまでは覚えてはいないですが、いなやまさんが活動されていたアジャイル関係のイベントに自分が参加した等のこともあり、仲良くさせていただいていました。
また、年が近い/SIerのお仕事という立ち位置からも共通となる話題が多かったので、Twitter上でもちょくちょくとやりとりすることも多かったです。
そういえば、技術書典5では黄色いTシャツを購入していました。思い返すと、その時にTシャツを渡してくれたのがいなやまさんだった気がしています。(笑)

いなやまさんとの交流の最後の記憶は、旅立たれる1-2週間前にTwitterのスペースです。
ただただ一緒に"SIerあるある"について駄弁っていた、だけでした。でも、楽しかった。

この時に、少し前から"入院していた"というのをご本人からお聞きしました。
ご本人からは"「あー、入院っていても、コロナじゃないのよー(笑)」"みたいな明るい感じでお話しされていたので、何かしらの検査入院とかですぐに退院してくるよな、、、とかお気楽に感じていました。
結果としては旅立たれてしまったのですが、Twitterのタイムラインにはコッテリな食事の画像が出ていたりと、まったく気が付かなかったです。

そういえば、いなやまさんは、Podcast「aozora.fm」にもゲスト出演されていましたね。
チームビルディングの話、興味深かったです。
やっぱり、いなやまさんも凄い人だった。

51. いなやまふみたかさんと楽しいチームの話。 - YouTube



というわけで、取り止めもなく、頭に浮かんだことを書き記してみました。
正直、もっと生きててほしかった。交流したかったって気持ちがあります。

とはいえ、人間である限り、生命は有限。
だからこそ、やれることをやっていかないとな、と今更ながらに思いました。
新年があけて1週間も経過しているのに、というツッコミはなしで。


まとめ:
身体は大事にしていきましょう。検査も大事。